2023年6月末で京都市中心部にあった旧「CAINOYA(カイノヤ)」が閉店してから5か月後。新「カイノヤ」は装いを新たに華々しく復活した。慣れ親しんだ鹿児島を離れて京都に移り、さらに今度は京風一軒家のレストランを新たに建てるという塩澤隆由シェフの挑戦は、作家アンドレ・ジッドの「狭き門」の一節を思い出させる。広き門と狭き門があれば、狭き門より入れ。つまり自ら困難に立ち向かってこそ天国への道に到達できるという新約聖書の一節だが、全身全霊を傾けて料理に取り組む塩澤シェフは今まさにそんな境地なのかもしれない。

新たな「カイノヤ」は京都中心部の喧騒を離れた、五重塔で知られる仁和寺の近くにある。京の閑静な住宅街、という言葉がこれほど似合うエリアもそうないだろう。道は細く、日が暮れると行き交う人もない。そんな細道を抜けていくと黒い杉板塀に囲まれた「カイノヤ」に到達する。そっと引き戸を開いて足を踏み入れると京都らしい中庭がある。移植したばかりだが、すでに目にも鮮やかな朱色の紅葉がひときわ目を惹く。木立から垣間見える厨房では塩澤シェフがゲストを万全に迎えるべく、最終チェックに余念がなかった。「カイノヤ」の料理はお任せ一本のみ。料理合計15品にあわせてそれぞれに異なる15種類のワインをあわせるという超絶ペアリングだ。

「蕪」は、石割農園産の蕪をつかった温石的思考の最初の料理。ガストロバックを使って蕪の葉と茎から出汁をとり、蕪の中に味を浸透させてある。赤大根、フグのスープ、しょうがのすり流し。蕪を焼いた苦味にコリアンダーがあう。「安納芋」甘みが強いサツマイモ、安納芋のホワイトソースにトリュフと卵黄。安納芋とトリュフの組み合わせは大地を感じる牛蒡のような、イタリア野菜カルドのような味。「玉ねぎのカラメラータ」一眼見てそれとわかるこの料理はミラノの2ツ星「D.O」ダヴィデ・オルダーニのスペシャリティへのオマージュ。かつてミラノで食べた時はタマネギだけでよくぞこんなに美味しくできるものだと衝撃を受けたが、塩澤シェフは「その話が分かってもらえて嬉しいです」という。パルミジャーノのジェラートを乗せて食べると、タマネギのタルトタタンのよう。塩味と甘味のコントラスト。「去勢鶏」去勢鶏にカツオ、昆布、オーヴォリ(タマゴダケ)、丹波栗、黒豆、丹羽栗、食材には鹿のブロードを浸透させてあり、動物性の旨みで食べるスープ。「鰤」鰤大根のイメージというがビジュアルは日本的ではない。鰤には赤味噌を浸透させたり、中から香る西京焼き。テクスチャーが異なる4種類の大根を添えてある。

「クリスタルサラダ」。鹿児島時代からの塩澤シェフのシグネチャーディッシュの一つ。葉野菜にはガストロバックで出汁や水分を浸透させてあるので、野菜一つひとつ本当に生きているかのような生命力に溢れており、口に入れた瞬間にその生命が弾ける。動物性の旨味で野菜を食べる一皿。ミシェル・ブラスの「ガルグイユ」に始まり、41種類の野菜を使ったエンリコ・クリッパの「41」、フードデザインで一世を風靡したダヴィデ・スカビンの「サイバーサラダ」など、歴史に名を残す野菜料理があるが、この「クリスタルサラダ」もそうした名作に名を連ねるはずだ。味付けはシンプルにヴィネガーとトマトウォーターの酸味のみで、パプリカ、ビーツ、白バルサミコとオリーブオイルのパウダー、バーニャカウダなどのソースをアクセントに。さらに「焼き鳥」「アイアンステーキ」と続いたあとハイライトとなる9種類の握り「CAINOYA SUSHI」となる。

「河豚」は昆布出汁と河豚のスープをガストロバックで味を浸透させてあり、白身を通して垣間見えるエディブルフラワーは御簾越しに見る日本庭園のよう。「タカエビのカリフォルニアロール」タカエビの頭でとった出汁にアマトリチャーナソース、ココナルミルク、スパイスなどをガストロバックで浸透させ瞬間的にスチームして生でもない、ボイルでもない独特の食感と甘味を引き出してある。海苔、カステルフランコ、マヨネーズ、ワサビ、アボカド、仕上げにボッタルガ。イタリア料理はエビ、トマト、カラスミの相性の良さに着想を得てある。「光り物」は小肌と鯖を左右で異なる2枚付けに。黒酢、フランボワーズヴィネガー、ロゼバルサミコで締めてある。中にはタスマニアマスタードのソース。「マグロ」マグロのアラでとった出汁にしょうゆ、赤ワイン、スパイスを加えガストロバックで味を浸透させてあり、シャリの周りをマグロで巻いてあるのでマグロの食感がダイレクトに楽しめる。さらにガリは新生姜ではなく、リンゴを使った「ガリンゴ」。ワインにまで触れるスペースがないのだが、ここまで全ての料理一品一品に異なるワインがセレクトされており、この4巻の「CAINOYA SUSHI」にもオーストラリアのネッビオーロやゲビュルツトラミネールなどそれぞれの「SUSHI」にあわせたワインが登場する。

「CAINOYA SUSHI」の後半戦は「鯵」シチリアのイワシのパスタをイメージさせる出汁が浸透させてあり、シチリア産のコラトゥーラ(魚醤)とカラマンシーヴィネガーで酸味を加えてある。「ソデイカ」は、鹿児島で獲れるソデイカをアサリ、鮎魚醤、青唐辛子で作った出汁を浸透させて、自家製ウイスキーヴィネガーで味を整えてある。「カンパチとジャガイモの軍艦」、カンパチは麹ウォーターで作ったバターソースで仕上げてあり、モレソース、牛乳、生クリームを浸透させたジャガイモで軍艦巻きにしてある。「肉寿司」、牛たんにフォントヴォーと黒ニンニクを浸透させてある。「穴子」、醤油を使わない煮穴子で、アナゴの骨から取ったスープに赤ワインとバルサミコを加えてアナゴに浸透させてある。仕上げにはシジミのエキスとマンゴーヴィネガーを合わせたオランデーズソース。

最後のパスタは「セコガニのリゾーニ・リゾット」。これは、2023年度のITALIAN WEEK 100のテーマ「パスタ未来形」をテーマに塩澤シェフが創作した一品。米型のパスタ「リゾーニ」を一度茹でてから、揚げおこげのような食感に仕立ててある。セコガニのアラを焼いてニンニク、ハーブ、トマト、昆布出汁を加えくずでとろみをつけ、仕上げにセコガニの外子を乾燥させたパウダー。「普通のパスタを出すわけにはいかないので」という塩澤シェフのメッセージが込められたパスタだった。

「美味しい」「素晴らしい」という料理に出会えた時の幸福感は何事にも変え難いものがあるが、「すごい」料理に出会えた時は大げさではなく鳥肌が立ち、高揚感が体にみなぎる。塩澤シェフの料理は人に高揚感を与えてくれるのだ。食材の意味を考え抜き、見えない背後には丁寧に作った数々の出汁やスープで味を浸透させてある。その完成形が「クリスタルサラダ」であり「CAINOYA SUSHI」だろう。

見えない部分に力を注ぐという職人気質は日本の伝統工芸に通じるものがあり、しかしそうした中にもイタリア的キーワードがあちこちに見え隠れしているのがまた楽しい。この夜もアマトリチャーナ、イワシのパスタ、バーニャカウダ、バルサミコと一体何種類のイタリアの味を料理の中に忍び込ませていたのだろう。そうしたキーワードを耳にするたびに塩澤シェフからのイタリア料理への大いなるリスペクトがひしひしと伝わってくる。イノベーティブかトラディショナルかという命題はイタリア料理にとっては永遠のテーマであるが、塩澤シェフの料理にはそうした二者択一的思考はもはや意味がなく、そうした既成概念を超越した次元で料理を考案し、実現し続けている。

新生「カイノヤ」はいきなりフルスロットルで走り出したように見えるが、それはこの数か月料理の現場から離れていて、飢えた狼のようになっていた塩澤シェフが全エネルギーを傾注して料理に取り組んでいるからだ。「叩けよさらばひらかれん」。それが京都第二章のスタートを切った塩澤シェフに贈りたい言葉だ。