シチリアを代表する食材のひとつにマグロの卵巣を使ったマグロのカラスミ、ボッタルガがある。サルデーニャなどで主に作られるボラのボッタルガは熟成すると黄金色に輝きを放つが、マグロの場合どうしても色が鈍くなりがちで、卵巣自体の大きさもボラに比べると数倍なので表面積の関係からどうしても塩も強くなりやすい。そうしないと熟成途中に腐敗してしまうからだ。しかしチッチョが「スパゲッティ・アッラ・タラタタ」に使うマグロのボッタルガは、色も美しいオレンジ色で香りも極上。これは「マエストロ・アッフィナトーレ」つまりマエストロ熟成士であるアルフィオ・ヴィサッリ Alfio Visalliがチッチョのために作った特別なボッタルガだ。ボッタルガの製法はフェニキア人がシチリア経由でイタリアに持ち込んだとされ、その語源はアラブ語のブッタリークに由来している。

「タラタタ」という一風変わった名前はシチリア伯ルッジェーロ1世(1071-1101)Ruggero Iの伝説に由来する。時は1091年というから日本ではまだ平安時代で源義家への荘園寄進が禁じられていた頃。南シチリア、シクリの海岸部にサラセン人が上陸してきた時のことだ。まだシチリア王国となる以前、シチリア伯だったルッジェーロ1世は自ら剣を持って敵将エミロ・ベルカーネ Emiro Belcaneと戦う大激戦。激しい戦いの末にシチリア軍が敗れそうになった時、軍装を施した聖母が白馬に乗って現れ、シチリア軍を勝利に導いたという伝説がある。この「軍装の聖母マリア」 Maria Santissima delle milizieはいまもシクリの守護聖女であり、毎年聖母を讃える祭りがいまも行われているのだ。

Spaghettone in salsa moresca “TARATATA” con bottarga di tonno e succo di carote “Suvenir di Bizantio”

「タラタタ」とは日本語では「チャンバラ」になるのだろうか。つまり剣と剣が触れ合う際の音のことだが、「戦い」あるいは「大混乱」という意味もある。キリスト教徒と異教徒=イスラム教徒が戦った激しい聖戦の結果、シチリアはやがて王国としてローマ法王に承認されることになるのだが、ルッジェーロ1世の息子であり初代シチリア王となるルッジェーロ2世など、一連のオートヴィル朝の王たちはいずれも異文化を排斥するのではなく、積極的に保護し取り入れた。シチリアにはアラブ人が持ち込んだ料理文化が今も多く残っているが、それは異文化融合の姿勢を打ち出したシチリア王たちの気概に寄るところが大きいのだ。

チッチョはマグロのボッタルガを使ったスパゲッティを「ビザンチンのお土産・スパゲッティ・タラタタ」と名付けた。いうまでもなくビザンチンとはローマ帝国が東西に分裂したのち、コンスタンティノープル(現在のイスタンブール)で独自の文化を発展させた東方キリスト教文化のことだ。シチリア産小麦を使った自家製スパゲットーネを、ボッタルガとレモンで作るサルサ・モレスカでまとめる。サルサ・モレスカはヴェネツィアではビーゴリに使われるソースであり、ヴェネツィアはシチリアと並んでビザンチン文化が色濃く残る都市。ビザンチンというキーワードを元にシチリアとヴェネツィアを融合させたのである。

レモン、ハーブ、サンブーコ、ローザ・カニーナで香りをプラスし、最後に「マエストロ・アルフィオ」の地中海クロマグロのボッタルガをトッピング。仕上げは人参から作った甘く芳しいソースだ。ボッタルガと人参?とは一見変わった組み合わせだが、実はこの組み合わせはチッチョが少年時代、木によじ登っては食べていた桑の実を思い起こさせる味だという。確かにこのパスタを口に含むと、人参の甘みと熟成したマグロのボッタルガの塩加減、そして柑橘系のフレッシュな香りが渾然一体となり、どことなく野生の果実を思い出させる。甘くてしょっぱいドルチェサラートも、柑橘系もそして光と陰が織りなす強いコントラストも全てシチリア的なキーワード。シチリア料理愛好家ならば、このパスタからそうしたメッセージを受け取ってくれることと思う。