イタリアはローマ帝国崩壊後、長い期間小国分裂の時代が続き、国家として統一されたのは1861年のこと。それまではフィレンツェ、ヴェネツィア、ミラノといったような都市国家が長く存在しそれぞれが独自の文化を形成していった。

日本ではよく「トスカーナ料理」「シチリア料理」という風に州ごとに料理を区分する(州料理=クチーナ・レジョナーレ)のが一般的だが、イタリアを代表する料理人ジャンフランコ・ヴィッサーニはこう言っている。「州ごとの料理というのはイタリアには存在しない。なぜなら州という概念が誕生したのはイタリアが統一された1861年以降、行政区分上のためだ。郷土料理というのはそれよりもはるか以前からその土地に存在していたのだから全ての料理は地域料理=クチーナ・テリトリアーレと呼ぶべきだ。」

ヴィッサーニがいうようにイタリア料理の多様性は千変万化、その多様性はミクロクリマであるが、最も変化に富むのはパスタであろう。つまりイタリアの郷土料理、クチーナ・テリトリアーレとはパスタのことであるといっても過言ではない。現在一般的に現在工業製品として作られ、流通しているパスタはおよそ350〜400の形状があるといわれている。ペンネ、スパゲッティ、リガトーニなど誰もが知る有名パスタがこの分類に入る。しかし中にはその土地にしか見られない希少品種とも呼べるマイナー・パスタが存在するのも事実で、それこそがイタリア料理の多様性の証人でもある。

サルデーニャの奥地で作られる「神の糸」フィリンデウ、プーリアで作られる古代ローマ時代にさかのぼるパスタ、ラーガネ。あるいはさらに古くその起源はエトルリア時代といわれるトスカーナのテスタローリなどレア・パスタを辿っていけばことごとくイタリアの秘境に行き着く。そしてこれら全てのパスタと組み合わせるソース、あるいは食材を思えば、それこそパスタ料理とは人智を超えた無数の組み合わせがあるはずだ。おそらくは世界で最も作られ、模倣されているのはカルボナーラかアマトリチャーナ、といわれているがこれらをイタリアにおける食の均一化、グローバリゼーションの象徴とするならば、よりイタリア的な料理とはそういった世界的に有名なパスタとは真逆の方向を向くマイナーパスタということになる。それこそがパスタの真の存在意義なのではないだろうか。

存在意義といえば、現在のイタリアにおいて最も重要な食のコンヴェンションが毎年2月にミラノで行われる「イデンティタ・ゴローゼ」日本語に訳すならば「美食の存在意義」となる。これはイタリアにおけるガストロノミー界のトップシェフを中心に世界中から最先端の料理人を招いてその技術、思想を発表し合うイベント。スペインにマドリッド・フュージョンがあるならイタリアにはイデンティタ・ゴローゼがある。日本人には発音しにくいそのネーミングから日本での認知度は今ひとつだが、年々盛り上がりをみせ、食をテーマにミラノで万博が開催された今年は大いに盛り上がった。

1980年代にフランスのヌーヴェル・キュイジーヌの影響を受けたグアルティエロ・マルケージが新イタリア料理=ヌオヴァ・クチーナ・イタリアーナを打ち出し、イタリアに史上初めてミシュラン3ツ星をもたらして以降、イタリア料理は進化を忘れていたといわれる。そしてリーマンショックと並んでもうひとつ、イタリア料理界に危機感をもたらしたのがスパニッシュ・インヴェージョンともよぶべき新スペイン料理の台頭である。フェラン・アドリアに代表されるような驚きの料理が登場し、2000年代になるとイタリアはミシュラン3ツ星の数も、そしてガストロノミーとしての質もスペイン勢に抜かれ、巷には分子料理、再構築料理、分解料理と外国からさまざまな料理がイタリアに流入するようになった。おそらくは史上初めて迎えたイタリア料理危機の時代であった。

そうした中、新たにイタリアのガストロノミー界を支えているのが巨匠マルケージの元で学んだマルケージ・チルドレン「マルケジーニ」たち。「クラッコ」のカルロ・クラッコ、「ベルトン」のアンドレア・ベルトン、「ピアッツァ・アル・ドゥオモ」のエンリコ・クリッパ、「D.O.」のダヴィデ・オルダーニら、「イデンティタ・ゴローゼ」の主役であり現代イタリアを代表するトップ・シェフたちはことごとく「マルケジーニ」なのである。こうした名前は現代イタリア料理を知る最新のキーワードである。スペイン勢の技術や革新を吸収し、イタリア料理とはなんであるべきか?を徹底的に考え抜いてそれまで誰も作らなかった新しいイタリア料理を打ち出す。

イタリア人はレースでいうところの最終コーナーを曲がってからが強い、といわれているが危機に直面した現在、イタリア料理の真価が問われている。イタリア料理の存在意義とは?パスタの未来は?パンとピッツァの将来型は?イタリアの料理人たちは日々そのような課題に直面しながらも持ち前の創造性と自由な発想で困難を乗り切ろうとしている。今、私たちが東京でなにげなく口にするイタリア料理の背後にはそのような混沌が広がっているのだ。