フィリンデウ Filindeuはサルデーニャ内陸部、バルバージア地方に伝わる伝統の手打ちパスタのひとつ。原材料は硬質小麦粉(セモリナ粉)と水、塩。このパスタを打つには塩が特に重要なエレメントとなっている。パスタ生地を作ったあと、実際に伸ばしにかかるのだが一枚が二枚、二枚が四枚と瞬く間にパスタ生地を細い糸のようにのばしてゆく。その独特な製法は動画で確認してほしいが、さらにユニークなのはこの極細の糸状のパスタを木製の盆に広げて天日で干す点だ。半日もすると水分は完全に抜けてパリパリになる、まさに保存食としての乾燥パスタの原型を見るようではないか?なぜこれほどまで細い糸状になるのか?というとポイントは濃い目の塩水に手を湿らせながらパスタを伸ばすその工程にある。それは手延べそうめんや中国の手打ち麺、あるいはアクロバティック用のピッツァ生地と同じで、塩の力でグルテンの結合を分断し伸びやすくしているからだ。

サルデーニャは1400年代から1700年代までの300年間に渡り、スペインのアラゴン=カタルーニャ王国が支配したことから、今もサルデーニャ西部を中心にスペイン語やスペイン文化の影響が色濃く残っている。「フィリンデウ」に関してもスペインとの関係は密接だ。バルセロナを旅したことがある人ならパスタを使ったカタルーニャ風パエリヤ、いわゆる麺パエとも呼ばれるフィデウア Fideuaを食べたことがある人も多いことだろう。フィリンデウもその語源はフィデウス Fideusに由来するといわれるがそれはフィデリーニ Fidelini、あるいはフェデリーニ Fedeliniから派生したもの。13世紀以降一大パスタ生産国となったジェノヴァではこうした手打ちパスタはフェデリーニと呼ばれていたが、地理的、文化的もジェノヴァと関係が深いサルデーニャでも手打ちパスタがフィデウスと呼ばれるようになったのは単なる偶然では決してない。やがてフィデウスはやがて宗教と結びついて「神の糸=Fili di dio」と呼ばれるようになったというのが現在の定説だ。

サルデーニャではフィリンデウはサン・フランチェスコ・ディ・ルーラの祝日の日に食べる料理である。ルーラとはヌオーロの北東33km、ビッティに近い山間の町。サルデーニャ全体では5月の初めに食べる祝祭料理だが、これは5月1日のカリアリの祭りサント・エフィジオに由来する。フィリンデウは奇跡の象徴であり、これを食べないものには災厄が訪れる、ともいわれている。伝統的には羊のブロードで煮て食べる煮麺のような料理だが、祭りの期間はジャガイモやハーブを加えることもあり、戸外では終日フィリンデウを作る光景が続くという。その昔、ヌオーロの山奥にあるアグリツーリズモで食べたフィリンデウは羊のブロードで煮たあとたっぷりとすりおろしペコリーノを加えた、見た目とは裏腹なそれはそれは濃厚な料理だった。

サルデーニャ、特にバルバージア地方の中心地ヌオーロにはこうした宗教的儀式が色濃く残っているが、そうした光景はサルデーニャを代表する女性作家グラツィア・デレッダ Grazie Deleddaが作品に書き遺している。ヌオーロの裕福な家庭に生まれたグラツィア・デレッダは1926年にノーベル文学賞を受賞するが、これはスウェーデンの作家セルマ・ラーゲルレーブに次ぐ、史上二人目の女性ノーベル文学賞受賞者であり、もちろんイタリアでは初の快挙だった。グラツィア・デレッダはカトリックを厚く信仰し、バルバージア地方の聖地をめぐる巡礼にも度々参加していたが、そうした祭りはキリスト教以前の原始宗教に由来したものも多く、特にヴァルヴェルデやサン・セバスティアーノ、サンタガタなどはサルデーニャ古代人が暮らしたヌラーゲ文化に由来する古い祭りである。そうした祭りでは巡礼者にフィリンデウとス・ズレッテ Su Zurretteと呼ばれる羊料理がふるまわれる。ス・ズレッテとは羊の胃袋に血や肉を加えて作る詰め物で、茹でたり炭火で焼いて食べるものらしい。フィリンデウ=神の糸というと一見繊細な料理に聞こえるが、その実は神への供物的意味合いを持つ、羊を屠った後あますところなく使い尽くす祝祭的生贄料理でもある。