ラーガネは現存する最古のパスタのひとつである。その原型は非常に古く、古代ギリシャ時代にはすでに存在してたといわれる。古代ギリシャ語で「ラガノン」とは「ひも、あるいは帯状のもの」で、おそらくはスープの中でこのひも状のパスタを茹でるか、もしくは揚げて食べていたとされる。紀元前1世紀に古代ローマの詩人ホラティウスが書いた「風刺詩」(B.C.30〜35)にはこんな記述が登場しており、日常的な料理だったことがわかる。
「彼は、ポロネギとヒヨコ豆とラーガネで作ったスープを食べに家に帰るところだった」(風刺詩1巻 4-115)
後に詩人ウェルギリウス(B.C.70? 〜 B.C.19)の「牧歌」ではピッツァのようにオーブンで焼くという記述がある。同時期の美美食家アピシウスの料理書によれば、肉や卵にラガノン(ラテン語ではラガヌム)を重ねて焼く「アピシウスのトルタ」という記述がある。つまりこれは現在のラザーニャと全く同じパスタ・アル・フォルノであり、煮たり焼いたり、時には揚げたりして食べられていたようだ。中世になるとラガヌムは文献にもしばしばし登場し、時にはパスタ全体を意味したマッケローネや、ニョッキと同義語で使われていてこともあった。
プーリアにはラーガネを使った伝統料理「Ceci e Tria チェーチ・エ・トリア」がある。これは硬質小麦グラノドゥーロと水で作った生地を伸ばしてから切り、一部は茹で、一部は揚げてからヒヨコ豆とあえて食べるという、ギリシャ時代のラーガネの本質である「茹でる」「揚げる」というDNAを2000年以上たった現代にも伝える料理。本来は復活祭前の3月19日サン・ジュゼッペの日に食べる慣習があった。この「トリア」とは、シチリアで12世紀に目撃されたという、史上最古の乾燥パスタについて言及した12世紀の文献に登場する「イトリア」を同じものと思われる。
12世紀はシチリアもプーリアも同じシチリア両王国に属しており、シチリア両王国全体で「イトリア」は生産されており、その生き残りがプーリアに伝わる「トリア」だと考えるのが自然である。 ラーガネは地方によっては「ライネ」と呼ばれることもありターラントでは「ライネ」は貧者の昼食として宗教的意味合いを持つ。カタリ派では「ライネ」はターラント名物のムール貝の液体で茹で、祭壇の前に置かれた縁のあるテーブルの上に注ぎ、最後に生のムール貝をあえて食べるという、非常に儀式的な料理だったという。カタリ派は10世紀半ばにあらわれ、異端審問の結果14世紀には完全に消滅したが、肉、卵、バター、チーズの摂取を禁じ、野菜のみを食べていたが魚介類だけは例外的に食べることが許されていた。
これは当時の思想では、魚介類は生殖行為の結果生まれるものではなく、海から自然に発生するものと考えられていたからである。ちなみにカタリ派は人間の生殖行為も禁止していたが、カタリ派の語源はラーガネと同じくギリシア語で、清浄なものを意味する「カタロス」に由来するとされる。