以前からことあるごとに日本の地方にあるイタリア料理店を訊ね、その地方でしか口にすることができない、日本ならではのイタリア料理に惹かれるようになった。というのもイタリアで暮らすようになってから早20有余年、その間イタリアで修行中の日本人料理人と数多く知り合い、しばらくして地元でレストランを開きました、という嬉しい報せが届くたび、一度は足を運びどんな仕事をしているのか、どんな料理を作っているのか見てみたいと思うようになったのだ。

イタリアでは地方にこそ地元に根ざした郷土料理の名店が多い、というのが金科玉条のひとつだが、実際山奥や離島などこんなところにと思うような場所で多くの日本人料理人たちに出会ってきた。シチリアの市場食堂、リグーリアの山奥レストラン、ピエモンテの丘の上の一軒家、キャンティの森の奥にあるワイナリーレストランなどなど、言葉は悪いがあえて辺鄙な場所を修行先に選ぶ彼らの思考と仕事に対する考え方にはある種の共通項があったように思える。それは帰国後にどんな場所でどんなレストランを開きたいか、というビジョンが極めて明確だったということだ。海辺の町に生まれ育った料理人はイタリアの海を選び、海辺の料理と文化をふんだんに吸収して日本に帰る。自然豊かな環境で育った料理人は自らの手で食材を作ることを目指し、自給自足のレストランに価値を見出す。ひと昔前に流行った言葉でいうならばイタリア経由のUターン、ということになるのだろうか。ただそれは決してネガティブではなくむしろ非常にポジティブで、郷土料理こそがイタリア料理の華であるという絶対的真理を見事に昇華させているのではないだろうか。

そうした旧友の店を訪ねるたびにおぼろげながら見えかけていた点が、旅を重ねるごとに細い一本の線となり、ここ数年の時代の変化や、ローカルガストロノミー・ブームも手伝い、やがて面になった。それこそが今回のイタリアンウイーク100が誕生したきっかけである。地方を旅し、日本を識ることでイタリア料理を識る。それは地方に根ざす料理人諸兄姉が日々熟考し、実践していることの追体験である。このイタリアンウイーク100をきっかけに日本の地方がより豊かになり、イタリア料理というキーワードを通じてより多くの人たちがこれまでになかった食体験と出会う。ローマは1日にしてならず、という諺があるように、たとえ小さな一歩でもこのイタリアンウイーク100がそのきっかけとなれば、イタリア料理取材に半生を費やしてきた者として、これほど幸せなことはありません。

イタリアンウイーク100ディレクター
池田匡克